言語学の分野の一つに、SLA(第二言語習得、Second Language Acquisition)というものがあります。
その中で非常に有力な説があります。
それは、「臨界期」と呼ばれるもので、簡単に言うと、以下のようにまとめられます。
人間の脳は、生まれてからすぐに言語学習のプロセスが開始され、最初の半年程度で言語の選別が行われます。
脳内で「母国語」と認めれられた言語以外の言葉が頭に入ってこなくなり、9歳くらいくらいまでに言語脳が形成されてしまうと言われています。
今日は、その「臨界期」について自分の体験談を交えた考察と、言語学習方法の提案したいと思い、この記事を書いた次第です。
目次
臨界期なんて神話だ
従って、
9歳までの「臨界期」を過ぎてから新しい言語を習得し、ネイティブのように使いこなすことはほぼ不可能である。
というのが、この説を支持する学者の主張です。
でも、ネイティブと同じように英語を習得するのは無理だとしても、それに極めて近いレベルまで持って行くことは可能です。
私は自分の経験から、少なくとも大人になってから日本語同様のツールとして英語を使えるようになるのは可能であると確信しています。
少なくとも私を含めた私の周りの何人かの人間は、これまでの人生経験を生かし、論理的に、時には割り切って暗記をしながら、英語を日本語と同様に使用しています。
英語のバックグラウンドのない人間が、大人になってから、ほとんどゼロの状態から英語を開始し、日本語同様に自由に使いこなせるようになるには、日本語オンリーで凝り固まった脳細胞を、英語による情報にハイジャックさせる必要があります。
これは私の持論ですが、成人による英語習得の一番の障害となるもの、それは実は日本語です。
なまじっか日本語で考える情報の回路が脳内に出来上がっているので、英語の情報が脳内に入ってきても、それを便利な日本語回路で処理しようとする長年の癖がついています。この癖を直すのは、容易ではありません。
外国人から英語で話しかけられ、英語で何か答えようと思っても、「えーと・・・ちょっと待ってね」などと日本語が、ついつい口から出てしまう状況です。
この状況を打破するためには、この長年の間に培われた本語の思考回路を敢えて一旦停止させる必要があります(さすがに完全破壊してしまうわけにはいきませんが、一時冬眠させる、というイメージです。大丈夫、日本語が失われることはありません)。
正直なところ、これを実現するにはそれなりの覚悟が必要です。脳を英語情報でクーデターするのですから、ちょっとしたパラダイムシフトどころのレベルではなく、別人に生まれまわるくらいの変革と言えます。
必要なのは、根本的に生まれ変わるレボリューション(revolution =変革)と、エボリューション(進化し続ける事)です。
人間はもともと、リスクや不快な事をを回避したがる生き物なので、過去に日本語で受けた教育や固定観念という便利な「既得権」を捨て去り、新しいものを手に入れようとは考えません。
これがいわゆるコンフォート・ゾーン(comfort zone)で、生まれ変わる勇気がなければ、人間は本能的にこの中にに篭ろうとします。
そして、その意思を完徹するためには、自己を律する強固な意志の力が必要です。強力なモチベーションがなければ、絶対に続きません。努力できる人間は、ほぼ例外なくこの強い動機付けができた人間です。
自分を信じることができれば、持って生まれた才能などはあまり関係ありません。
発音でも文法でも語彙でも、全ての分野でネイティブに限りなく近いところまで追いつくことは可能です。
9歳以降は日本語のアクセントはどうしても残る
ネイティブに追いつくのが難しい例外として、9歳を超えると捨て去るのが難しくなるものが、音の聞き分けと、日本語のアクセントだと言われています。
普段から日本語を使っている限り、限りなく訛りをゼロに近い状態にすることはできても、完全にゼロにすることはほぼ不可能です。
現に、英語のネイティブスピーカーも、来日して日本語を覚え、何年も日本語ばかりの生活を送っていると、英語の発音に日本語の影響が現れ始めます。
私もアメリカで10年弱生活し、英語ばかりの生活を送っていた結果として、私の日本語の発音はアメリカ人みたいと言われた事があります。自分で気づかないくらいだし、コミュニケーションに支障が出るほどではありませんでしたが、なんかすごく嫌で、言われなくなるまでしばらく時間がかかりました。
そして私の英語の発音も、大部分は改善されましたが、最後の何%かはまだ日本語式発音のままです。
おそらく舌の使い方など簡単に直せるものではなく、声のピッチや発声方法などに深く根付いたものなので、プロのセラピストに依頼して原因を分析し、トレーニングを受ければそれもかなり改善されると思いますが、果たしてそこまで完璧を求める必要があるのか疑問ですので、やっていません。
アクセントは、それくらい消滅させるのが難しいものだと言えます。
若いうちからバイリンガル教育を受けた場合
では、若いうちからバイリンガル教育を受けた人はどうなのか。
私がこれまでに読んできた専門の文献によると、やはり、第二言語には母国語の影響は現れます。
9歳になる前からバイリンガル教育を受けてきた人も、注意深く聞いていると日本語のアクセントが見え隠れしています。
これは私自身の体験がそれを裏付けています。
ただ、軽いアクセントがあることは必ずしも悪いことではなく、バイリンガリズムの証であり、その人のシグニチャー・アクセント(signature accent)とも言える独特の発音方法は、その人のアイデンティティや個性の一部で、見方によっては人間的な魅力の一つとも言えます。
多くのアメリカ人女性は、British訛りの英語をセクシーと感じるし、それ以外のヨーロッパ系のアクセント、例えばフランス系のアクセントなどはエキゾチックでミステリアスな魅力があると言います。
また、アメリカ人男性は、ラテン系アクセントにセクシーさを感じたり、日本をはじめとするアジア系アクセントを可愛らしいと感じる事があるようです(完全に個人の好みの問題)。
ただ、残念ながら、アジア系男性のアクセントはセクシーでもエキゾチックでもなく、ただ頭が悪そうとか、オタクっぽいとか、どちらかというとネガティブなイメージを持つ場合が多いようです(あくまで私の周りのアメリカ人に聞いた統計データです)。
私の場合は、アメリカにきた直後は自分の話す英語の発音に対する劣等感があったので、アクセントを最小にすることを優先しました。結果としてこれが、アメリカ英語の音を分析して一つ一つ学ぶ機会に繋がり、苦手だったリスニング力の向上に役に立ちました。
カタカナ英語は英語ではない。恥ずかしい。でも、越えなくてはならない壁
軽いアクセントは良いということを強調しましたが、相手に理解されないほどヘビーなアクセントがあっては、そもそもコミュニケーションが成り立ちません。
最低限のレベルに達した発音なくして、流暢な英語(fluency)はあり得ません。そもそも英語だと認定されません。
飛べ今もない頃、あまりに私の発音がカタカナだったので、アメリカ人にこれが英語だと理解してもらえず、こう言われました。
Sorry, I don’t speak Japanese, man.
英語を学びに来ている者として、これほど応えた言葉はありませんでした。
バイリンガル教育の弊害:セミバイリンガリズムとダブル・リミテッド・プロフィシエンシー
臨界期を迎える前からバイリンガル教育を始めた子たちも、大変な苦労をしています。
何を勉強するにも2ヶ国語で覚える必要がありますので、極端な話をすれば2倍の情報量を処理する必要があるわけです。
失敗すると、どちらの言語もネイティブレベルに達しない、いわゆるセミバイリンガリズム(semi-bilingualism)やどちらの言語も正常に機能していない、ダブル・リミテッド・プロフィシエンシー(double-limited proficiency)と呼ばれる中途半端な状態になってしまう子も一定数います。
これは必ずしも遺伝的な知能のせいではなく、環境によるところが大きいと言われています。
所詮言語はツールですので、単純にバイリンガルはモノリンガルより頭がいいというわけではなく、結局どちらかの言語で高度な知識を持っている方が有利になります。
どちらの言語も中途半端では、高度な学習はできません。つまり、第二言語として英語を学ぶことが、その子の母国語ひいては知能の発育そのものを阻害することになってしまうと言われています。
成人から英語を始める場合はそのようなことを心配する必要はありません。日本人の成人はすでに日本語で正常な教育を受けており、日本語での読み書きが可能であり、経験と高度な知識・スキルを身につけています。
新たに英語を学ぶことによって、日本語のスキルや日本語で得た知識がなくなってしまうこともありません。
そういう意味では、これまでの教育課程ではツールを日本語のみに絞って高度な知識の学習に時間を割いて来たことが、バイリンガル教育を受けている子供にはないアドバンテージでもあると言えます。
これから英語で何か勉強する際は、この割合を一つの目安にすると良いです。
- これまでに日本語を使って習得した概念やアイディアを生かす場面:70%
- 日本語で学んだ常識を捨て去り、英語で新しい概念やアイディアを受け入れる場面:30%
このようにインプットとアウトプットをコントロールできれば、言語はスポンジに吸い取られた水のように、最大の効率で頭に入ってきます。
難しいものは難しい。でも完璧を求めるのは時間のムダ
この「これまでの常識を捨て去り、新しい概念・ideaを受け入れる」という作業は、言うのは簡単ですが、最初は思ったより難しく感じるかも知れません。
人間の脳は、自らの負担を減らすため、物事を単純化したがる習性があります。
例えば、一度「これはAである」と学習していたところへ、「実はAとはBのことでもあった」というような、これまでの「常識」が覆える状況を嫌います。
こういう傾向をバイアスと言います。
固定観念を助長するバイアスは、年齢が高くなればなるほど顕著に現れる傾向にあります。
本能的に、既存の知識の一貫性を保つことで、リスクを避け、安全に残りの人生を過ごそうと考えるようになるからだと言われています。
これがいわゆる、「老人は頭が硬い」と言われる理由で、経験が多くなればなるほど、過去の経験やその経験から出した結論を上書きするのが難しくなります。ましてや、他人が影響を与えてそういう行動を引き起こさせるのは至難の業だと言わざるを得ません。
年齢が上がるごとに脳が固くなる。そういう意味で、意識せずに言語を学習するには「臨界期」までに終わらせた方がいいというのはあながち嘘ではありません。
しかし、意識さえすれば、大人になってから脳細胞を若返らせることは不可能だとしても、自分の思考の構造を変えることは可能です。
また、英語を話せるようになるには、多くの日本人が思っているほど完璧な英語を習得する必要はなく、思ったより時間はかかりますが、能力的なハードルは思ったより低いと言えます。
英語学習自体が目的ではないし、英語はあくまでツールであり、コミュニケーションの機能を果たせれば、それ以上は必要ないはずです。
むしろ、英語を使って、自分だけの価値を創造できなければ、英語を習得する意味さえありません。