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最悪の上司から学べる事:セクハラ、パワハラ、スメハラまで。スキルは上司の「よいしょ」。性格の相性も最悪

イントロダクション

帰国子女である僕の日本でのキャリアでの最悪の上司は、ある日本の一部上場企業の「海外事業部」部長さんです。

部門名からして、ドメスティックなガラパゴス企業にありがちな、海外とビジネスするのが苦手な企業モロなネーミングですよね。本格的に海外とビジネスをやっている企業だったら、部門名に「海外」なんて名付ける必要がないはずですから。朝鮮民主主義人民共和国みたいなものでしょうか。

当時の僕は30代半ばで課長代理でした。

この方に個人的な恨みはありませんが、僕は受け入れることができないタイプの方でした。

おそらくは今も現役だと思うので、名前は伏せますが、当時46、7歳くらい、過去にタイ、シンガポール、中国の法人立ち上げを経験しており、3つとも利益を出せていません。

それもそのはず、この人自身に能力はなく、人を見る目もないのです。

なぜそんな実績のない人が海外ビジネスに続投されたのかというと、ドメスティックなこの企業には、社員こそ3000人くらいいましたが、海外の経験があり、海外との接触自体にアレルギーのない人間がほとんどいなかったからです。

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セクハラとパワハラ(セ・パ両リーグ制覇)

この部長さんは体育会系のノリと言えば聞こえはいいのですが、自他共に認める、有力者に取り入り、さまざまな手を使って気に入られて組織をのし上がってきたタイプで、いわゆるイエスマンでした。

海外事業部門の責任者であるにも関わらず、英語はほとんど話せませんでした。英語が話せないから、外国人とはカタコトの日常会話か通訳を通じての会話しかなく、心から心の疎通をしたことがないという特殊な経歴の人でした。

よく仕事の後に飲みに連れて行かれました。その時言われた負の名言(迷言)の数々は、今でもはっきり憶えています。こういう男には絶対なるまいという、逆の意味で。その一部(書ける範囲の事)を紹介いたします。

「俺が海外で仕事をやりたいと思うのは何でだと思う?本社では部長クラスでも、海外法人なら社長にだってなれるだろ?俺は権力が欲しいんだよ。それがサラリーマンの醍醐味だろう」

「いいか、男が東南アジアに赴任したら、現地にもう”一つの家族”を作ってなんぼなんだよ。東南アジアは俺たち日本人より経済的に劣っている。だから俺たちは尊敬されているんだ。経済力で女を支配するなんて、俺たち一般のサラリーマンじゃ日本ではできっこないが、海外なら、可能だ」

「女は子供が産まれるとお母さんになっちゃうんだよ。だから男が他の女を探すのは当然の事なんだよ」

「英語なんて喋れなくても海外の奴に尊敬されている奴もいる。それは知性とカリスマだ」

「海外帰りだからって調子に乗るなよ。君は所詮俺のカバン持ちと通訳でもやってりゃいいんだ。戦略は俺が決めるし、ビジネス交渉の中身も全部俺が決める」

出張で上海に行った時は、会社貸与の携帯電話を使って中国人のキャバクラのホステスに電話をして、

「久しぶりに来てやったぞ。今から30分でお前の店に行くから、絶対パンツ履いてくるなよ!他の客も断って真っ先に俺の席に来いよ!じゃないともう2度とお前を指名しないからな!わかったな!」

とにかくこういう輩は日本の恥なので、海外には行かないで欲しいと思ったものです。

この野郎(あえて野郎と書かせていただきます、すみません)、上と下の対応の差も半端じゃなかったです。

自分が所属している派閥のボスである役員には、いつもペコペコ。毎週末のように家族ほったらかしでゴルフの相手をし、相手の気の向くままに飲み屋に同行し(僕たちも引っ張り出されました)、役員のじいさんと一緒に女子社員にセクハラ発言、下ネタの連発。

この役員のじいさんと一緒に海外出張でも行こうものなら、当時の物価の差を逆手に取り、女の子のいるお店でやりたい放題。

そして、自分の部下である若い男性社員には、気にいらない事があると怒りを露わにして罵声を浴びせていました。僕はさすがにあまりやられませんでしたが、上記の「調子に乗るなよ」発言では、流石に手が出そうになりました。

スメハラ

また、これはさすがに本人の意思ではないと思いますが、この方の体臭と口臭もなかなか強烈でした。毎日のように暴飲をし、ヘビースモーカーで毎日何十本もタバコを吸い、もともと胃が悪くて手術をしたらしく、常時ドブのようなブレスを吐き出していましたが、彼は私の正面に座っていたからたまりません。

仕事中に、

「はー」

などと、ため息が聞こえたが最後。あからさまに鼻をつまんで退避するわけにもいかず、猛毒の嵐が去るまでただ息を止めている以外、ダメージを軽減する方法がありませんでした。朝から時間が経つにつれて、毒素のPPMは高まり、濃度は上がっていくし・・・午後にはめまいと吐き気に襲われることもありました。

あまりのスメハラに腹が立ったので(当時はスメハラなどという言葉さえ浸透していませんでした)、社外の友人に、あの席の臭害を自嘲的に揶揄して、「公衆便所」をもじって「口臭便所」と呼んでいました。今思えば、陰でウジウジ言ってないで、はっきり本人に言ってあげればよかったと思います。

ただ、この部長は、強烈な臭いに似つかわしくなく、かなりのナルシストで、オシャレには気を使っていました。当時石田純一がやっていたような見えないソックスにローファーを履いて、カバンや名刺入れはもちろん、傘までトゥーミーで揃えていて、シャネルだかの強烈な香水までつけていました。

その強烈な香水と、ネズミの死骸がいるドブのような口臭、加齢臭が混じり合った有毒ガスが前方2メートルから絶えず送り込まれたら・・・想像できるでしょうか。それだけで、この上司を嫌いになる要素はたっぷりありました(すみません。事実とはいえ、かなり酷い表現になりました)。

スキル:ヨイショ力

ところが、この人にも、大手企業の部長まで上り詰めただけあって、取り柄はありました。まず酒が強く、タバコを吸う(このクソドメスティックな会社では、役員などの有力者は須くタバコを吸ったので、喫煙者は接点ができ、圧倒的に有利でした)。ゴルフも上手い。イベントの幹事やヨイショもできるし、有力者の為には平気で嘘をつけるし、プライドも捨てられる。性格も明るいため、そこそこ女性にもモテる。上記の理由により、上司には気に入られる。

僕に言わせれば、そんなスキルはバブルの頃ならまだしも、今では何の役にも立たないし、そういう奴を気に入る役員のじいさんたちも、おつむの弱い女性たちも大したことないですが、それでもなぜか社内に味方が多い、そんな意味不明の魅力のようなものがこの人にはありました。それだけは、フェアに認めざるを得ません。

自分をカリスマ・国際ビジネスマンと勘違い

そんな彼が僕に言いました。

「俺は君のように英語を自在に操れない。あるのはカリスマ性だけだ。だから俺の右腕になったつもりで黙ってついて来い」

その時の僕は、「はあ?」というのを顔に出さないようにするのに必死でした。

申し訳ないが、これほど心に響かなかった言葉もありません。

これまで、僕が進んできた短いキャリアの中で、多少敵もいたし、手強い上司、怖い上司もいました。この役員のじいさんも実はその一人です。でも、その腰ぎんちゃくみたいなこの部長ほど、軽蔑に値すると感じた上司はいませんでした。

ちなみに、僕はどちらかと言うと、カリスマとか、バックの力とか、目に見えないものは信じないタイプです。

どちらかというと、「あんたにタイマンで勝ったら、そのポジションかわってくれよ」と言いたいタイプで、本当は「この人には絶対に勝てない」と思うほどの敗北を味わわない限り、自分以外の人間に服従する気にはなれないし、能力のない人間にカリスマは感じません。

いや、普通はそうじゃないでしょうか?そもそも、カリスマって自分で持っているアピールものじゃないでしょう。

本当にかっこいい上司は自分の臭いが有害であることを当然の如く知っていて、ブレスケアをしているはず。食事の時、箸をグーで握らないはず(これも気になってた)。たとえ相手が自分よりさらに上の上司であっても、間違っていることは間違っていると言えるはず。何かあったら、自分の進退に関わるリスクを負ってでも、部下である自分を守ってくれるはず!

この人の部下になってからです。会社や上司に選んでもらうのではなく、自分の会社や上司を選べるくらいエンプロイアビリティーのある人間になろうと思ったのは。そして、自分が上司になるなら、どんな上司になりたいか、明確なイメージを持っつようになったのは。

最後に:恩師は反面教師

あれから約6年の年月が流れました。そして、部下と呼べる人ができ、あの’最低の上司’より大きなチームを任されるようになりました。

僕は今、自分のなりたいような上司になれているかはわかりません。でも、あの人のおかげで、自分がなりたくない人物像は明確になりました。

また、今の立場があるのは、あの時あの会社を辞めて次のステップに進む決意をさせてもらえたおかげです。

ありがとう、僕の永遠の’最低の上司’。あなたと出会えた事に、感謝しています(皮肉ではなく本当に)。

いえ、あなたやり方を否定するわけではありません。ただ、不器用な僕にはあなたのようなやり方は評価できないと思っただけです。そういう意味で、あなたは僕にとって、’最低の上司’だった、ただそれだけです。

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