以前の記事に取り上げた通り、現代のビジネスにおいて、クリティカル・シンキングが非常に重要だということは、世界各国の学者や人事関係者が認識する事実です(Boa et al., 2018)。
日本の教育ではあまりこの重要性について触れられているのを見た事がありませんが、欧米やタイなどの東南アジアのアカデミアおよび企業の人事部門では、クリティカル・シンキングの能力を磨くことが、教育の最大の目的の一つであると考えられています(Hvorecky, 2018)。
本日は、海外の論文を取り上げながら、クリティカル・シンキングがなぜ日本でも大切になってくるかについて述べてみたいと思います。
クリティカル・シンキングが必要な理由な以下の通りです。
正しい情報と間違った情報の選別
現代はこれまでにないほど膨大な情報が手に入りやすくなりました。
その分、正しい情報の中には間違った情報も埋もれています。
日常の生活の中で、企業によるマーケティングに触れない日はありません。そして私たちの行動の多くは、意識する、しないに関わらず、これらのマーケティングの作用に影響されています。
特に人間は、ネガティブなニュースの見出しや、逆説的な本のタイトル、人をこき下ろすようなYouTube動画のタイトルを目にすると、ついつい見てしまう傾向があります。
ネガティブ・キャンペーンや炎上商法などはまさにそれを突いたビジネス戦略であり、例え中身はスカスカで世の中へのインパクトはむしろネガティブでも、商業的にはより効果を得る事ができるような仕組みになっています。
逆に、世の中の役に立っているチャリティの記事や動画などは、ほとんどの人が興味がなく、再生回数もほとんど伸びず、動画を作るたびに赤字だと聞いた事があります。
勝てば官軍とか、売れたものが正義だなどと暴言を吐くつもりはありませんが、力なき正義は無力なり、という宮本武蔵の格言があり、私は一理あると思います。
崇高な意識を持ったチャリティ活動家よりも、炎上系ユーチューバーの方が、悲しいことに影響力があったりします。
ただ、今月一番お金を使った買い物が、実はどこかで無意識に知覚した某会社のマーケティングのせいだとしたら、そして、そのせいで他のもっと大切なものへ使える資金が目減りしているとしたら、こんなにゾッとしないことはありません。
情報の質を正しく判別する能力がなければ、自分自身や自分をとり巻く外部環境を客観的に評価できず、大きな間違いを犯す可能性があります。
世の中には、根拠なき自信から上から目線の人や、意味不明のプライドを持っている人がいますが、これは、自分自身と環境の評価が正しく行われていないことの現れだと言えます。
逆に、クリティカル・シンキングにより正しい情報とそうでない情報がよくわかっている人は、話が理路整然としていて、客観的で、芯はブレないが、流動的で常に広がり続ける思考を持っています。
宗教や政治的などのプロパガンダに洗脳されない
最近、某宗教による信者の洗脳とその弊害がニュースで取り沙汰されていますが、冷静な判断ができる人間が、自分の全財産を教団に献上し、周りに借金までして一家を崩壊させてしまうことがあるでしょうか?
人間の脳はどのような性質があり、どのような時に自分の判断が鈍るのか、教団がいうような神様が本当にいるなら何故自分の家族が破滅に向かうのか、客観的に考え、疑問を持つ事ができれば、きっと犠牲者にはならないはずです。
先日、かつての同僚と食事をする機会がありました。
その人は、医療機器認証のコンサルティング・ファームで働く優秀なコンサルタントなのですが、話の後半から、私に宗教の勧誘をはじめました。
実はこれは初めてではなく、以前食事した時も、この教団の紹介をされ、一緒に教祖に会いに行かないかと誘われて断った経緯があったので、彼が熱心な信者だということは知っていました。
今回3年ぶりに食事に誘われた時も、もしかしたらまた勧誘されるかもしれないと思いました。
しかし、どのような勧誘を受けても感情的にならずロジカルにNOと言える自信があったのと、時間が経ったので懐かしい思いの方が勝っていたこともあり、誘いを承諾したのでした。
もちろん、今回も丁重にお断りしましたが、それでも彼は引き下がらなかったので、論破するつもりで、ソクラティック法で彼の信仰心の矛盾点を徹底的に突く質問をし、最後は「僕が未熟でしたね」と認めさせ、その場を切り抜けました。
最後に、議論をぶつけ合うのはいつでも歓迎するし、自分と違った考えについて知るのは興味深いが、勧誘することが目的なら、多分時間の無駄だから、もう食事するのはやめようと言いました。彼は、勧誘が目的であることを否定しましたが。
普段はあれほど臨床試験の統計学的信頼性を評価し、科学的根拠に基づいたかなりクリティカルな思考をしている彼が、なぜ宗教のことになると、疑う事をやめてしまうのか。
おそらく、宗教には何らかの、人間を「今幸せ」と感じせる脳内物質を放出させる作用があり、それを実社会では得られていないのでしょう。
その脳内物質のせいで、冷静な判断力が失われているのではないかと察します。
私はそもそも、崇高な神様が、キンキラキンの寺院に祀られる事を希望し、信者の献金の額によって救うか救わないかを判断するわけがないと思うのです。
もしその神様が信者の人生を変え、輝かせてくれたのなら、自ずと満たされている信者は輝きを放ち、勧誘なんかしなくても、周りの人の方が「この人のようになりたい」と思い、寄ってくるはずです。
神仏や大自然や、この世を創り動かす大いなる力を敬い、信じる心があるならば、それは自分の心に留めておけばいい。
それがとても素晴らしいものだから他のみんなにも教えてあげたいという気持ちもわかりますが、それなら、人間に人間を崇拝させたり、誰かの承認欲求や物欲を満たすことに利用するのは、明らかに矛盾しているのではないかと思います。
その人は、結局「魂が救われる手段」は、キリスト教でも浄土真宗でもなく自分の宗教だけであると断言する根拠を示す事ができませんでした。
恋愛で失敗しない
冷静な判断ができない、ということで言えば、恋愛もその最たるものです。
恋愛市場は決してパラダイスではなく、弱肉強食の自然界そのものです。
恋愛の醍醐味は、そのカオスの中に、それが虚であれ実であれパラダイスを作り出すこと、あるいはその存在を信じる事です。
現実を直視すれば、そこには明確なヒエラルキーが存在します。
非モテ男が風俗嬢やキャバ嬢に貢いだお金は、ホストに流れる。
ファンが貢いだお金は、アイドルに流れる。
女性の「優しい人が好き」の言葉を間に受け、嫌われないようにいい人を演じる男性は、生物学的に下位の存在であると評価され、利用され、絶対に恋愛対象としては見られない。
そして女の扱いがうまく、優しさと冷たさを使い分ける一部の男には、いつも惹かれる異性がいる。
恋をしてしまうと、最初は嬉しい気持ちが大きく幸せな気分になれるが、そのうち不安や嫉妬、猜疑心が心を蝕み、まるで麻薬のように虜にする。
時には、一つの恋が、守るべき家族も、築いてきた地位も、すべてを破壊してしまう。
この状況に陥らないようにするには、究極的には相手の心理状態を冷静に評価し、巧妙な駆け引きを打ちながら、双方の感情を自らのコントロール下に置かなければならない。
間違っても、男は女の言葉を額面通りに受け取ってはならない。
ただし恋愛においては、相手を落とそうと思ったら、論破するのは禁物。相手の心裡を読み、それを逆手にとった手を打たなければ意味がない。
これは私の私見ですが、人間は生まれたい以上、男も女も一生に一度は激しい恋をするべきだと思います。自分の感情をコントロールできないくらい人を恋する経験をするべきだと思います。
そして、そこで思いっきり振られて死になくなる思いも経験してもいいと思います。
でもそこから何かを学び、自分は強者にならなければ、惨めな人生が待っているだけです。
忖度せず発言できるようになる
私の10数年の経験から、日本企業の致命的な弱さの一つは、「忖度の文化」だと思います。
例えば、とある中小企業に勤続年数30年以上の超ベテランの山田さんという人がいたとします。
ハッキリ言ってその会社は、山田さんなしでは回りません。あだ名は「生き字引」ですが、実質「お局さん」の側面もあり、誰も山田さんに逆らうことはできず、ご機嫌をとってばかりです。
結果的に、各部署から山田さんに仕事が集まり、もう2週間も「山田さんの待ち」状態のプロジェクトがあります。
山田さんが仕事できなくなったら、会社は大ダメージを受けるでしょう。でも、それが会社にとってとんでもないリスクであり、自分の持つ情報やノウハウを他の部員と共有しない山田さんのやり方を変えさせようとする人はいません。
山田さんの上司も、これまでの功績を感謝しており、定年までの間、この仕事を最後まで全うしてもらおうと考えています。
実際は、山田さんのやり方はもう10年以上前のもので、今なら最新のソフトを使えば、今山田さんしかできない仕事の3/4は誰でもできるようになるし、所要時間もほぼゼロにすることができるようになるのに。
誰もそうしようとしません。
みんないつもお世話になっている山田さんにリスペクトするあまり、意見を言えなくなっているのです。
私は、これまでこの山田さんのような状況を散々見てきました。
遠くの場合、本人も、「この会社は私がいないと回らない」と、周りの能力のなさに不満を言う一方で、いつまでもこの状況が続けばいいと思っています。
このように感情論や情緒的な背景により、実際に価値をもたらしているの少し考えればわかるのに、「そう言うものだから」「仕方ない」「〇〇さん頑張っている姿を見ると何も言えない」などと、その考えることをやめている組織をよく目にします。
もし日本組織にもっとクリティカルに考える文化が企業に根付けば、アイディアの新陳代謝が戻り、忖度なしに建設的なディスカッションができるようになるはずです。
ただ、そうなると年配の人も若い人と同様に継続的に学習しながら知識と思考をアップデートしなくてはならなくなりますが、それは当然のことです。そうしなければ、日本はさらに遅れをとるでしょう。先進国ではなく世界に。
正しい自己投資判断ができる
クリティカル・シンキングにより、正しい状況判断する力が向上されれば、今以上に正しい自己投資の判断ができます。
例えば、日々過ごす時間を何に使うべきが、どんなスキルや知識を身につけるべきか、あるいはただ今の快楽を追求すべきか。
若い時間は短いので、とにかくやりたいことをやっておくべきだと言います。
それはそれで立派な意見だと思いますが、「自分はもう若くない将来」はすぐにやってきます。その時、誰も助けてくれないこともわかっています。
私は、常に自分が必要だと思うことを習得するために、努力を積み重ねるながら生きることが、結局のところ一番楽な生き方なのだという事を体験から学びました。
これも自分の経験をソクラティック法で自問自答して分析した結果たどり着いた答えです。
私は今、ある会社のある事業部の責任者として自分のチームの部下になる人を採用していますが、人を選ぶ際には自分自身がクリティカル・シンキングを使うし、クリティカル・シンキング力のある候補者を面接で判別しています。
ビジネスの大きな目的の一つは、顧客とともに価値を創造すること(value co-creation)で、ビジネスにおける”価値 = value”とはつまり、問題の解決( problem solving)であり、問題と解決方法の判断には、状況をクリティカルに観察する力が必要です。
References
Boa, E.A., Wattanatorn, A. and Tagong, K., 2018. The development and validation of the Blended Socratic Method of Teaching (BSMT): An instructional model to enhance critical thinking skills of undergraduate business students. Kasetsart Journal of Social Sciences, 39(1), pp.81-89.
Hvorecky, J. and Korenova, L., 2018. Learning critical thinking without teacher’s presence. DIVAI 2018.