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出会い、そして別れ。英語学習がくれた、愛国心溢れるカウボーイとの出会い

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これまでに学んできたスキルの中で、その習得に最も時間が掛かり、かつ最も価値があったのは何か聞かれたら、私は迷いなく英語だと答えます。

外国語を学ぶなら、特に世界中で話す人口が多い英語、中国語(普通語)、スペイン語がお勧めです。

今はスマホのアプリなど便利なツールがあるので、AIに任せておけば言語学習など必要ないと考える人もいるでしょう。

確かに、意思疎通のツールとして考えるなら、表面的なコミュニケーションならアプリや通訳で問題ありません。

でも、言語学習の本当のベネフィットは、暗号通信のような意思疎通ではありません。

一つは、言語学習の過程の中で、その言語が持つ文化を学んだり、外国語を媒体として日本語では手に入らない情報を獲得することです。

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そしてもう一つは、人間と心から感情を共有することです。言ってみれば、魂と魂の繋がりです。

私の場合は、これらの目的を知っていたので、それを体験するために、20代半ばでアメリカに渡りました。

今日は、その時に出会ったある男性のお話をさせてください。

目次

アメリカ人の彼女に届いた幼馴染からのメール

大学の頃、私にはアメリカ人の彼女がいました。名前をナタリーとします。

ナタリーはいわゆるアングロサクソン系で、先祖を辿ると、メイフラワー号に乗ってアメリカに移住した乗員に行き着くのだと言っていました。生粋のアメリカ人で、彼女とは家族ぐるみで付き合いをさせてもらい、6年ほどの交際中に、英語はもちろん、非常に多くのアメリカ文化を学びました。

その間の3年ほどの間、ナタリーと私は、ロサンゼルスで同棲していました。

そんなある日、ナタリーの高校の頃からの親友で、レスリーという女性からメールが来ました。

自分の両親と叔父、そして最近結婚したばかりの夫エドワードとバーベキュー・パーティーをやるので、ベイカーズフィールドの叔父の家に来てほしいと言うのです。

ナタリーと私はベイカーズフィールドまで約3時間車を走らせて出かけました。

レスリーの叔父さんの家は、4百万ドルもする大豪邸でした。ベイカーズフィールドは、同じカリフォルニアでもサンフランシスコやビバリーヒルズのように土地の高い場所ではない田舎ですが、その分土地が広く、庭は都会の公園のように広く、複数のプールがあり、本当のキャンプ場のように広い場所でバーベキューをしていました。

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出会い

私は、ナタリーに、レスリーと夫のエドワードを紹介されました。

ナタリーと同じハイスクールを卒業した、メキシコ系白人のレスリーは、卒業後、マリーン(米国海兵隊) に入隊していました。そこでエドワードと出会ったそうです。

エドワードはナタリーより1年年下のアイリッシュ系かスコットランド系の白人の青年で、身長190センチ以上あり、筋骨逞しく、地元の南部の州の空手大会の優勝者でもありました。

髪を坊主頭に刈り込み、顔は俳優のブラッド・ピットに少し男性ホルモンを足していかつくしたような感じでした。でもアメリカでは、これが特別イケメンという訳でもなく、まあ普通のルックスなのだそうです。

アメリカでカウボーイと知り合いになった。

そのころの私はマーシャル・アーティストを自称し、日々鍛錬を行いながらアメリカの武道家とよく手合わせをしていたので、彼の強さに興味を持ち、私の過去の日本やアメリカでの”他流試合”や、彼のマリーンでの隊員との喧嘩の話などで意気投合しました。

マリーンでどこかの血の気の荒い屈強な男から喧嘩を売られ、返り討ちにして怪我をさせてしまったために重い罰を課せられたとか、クラブでならず者と大立ち回りをして警察に捕まりそうになって除隊されるところだったとか、銃を持った男に素手で戦うにはこうしろとマリーンで教えられているとか、くだらない話をしながら男二人がプールでテキーラを飲みながら語り合っているうち、深い尊敬と畏怖の念が芽生えていました。

アメリカでカウボーイと人生論を語る

エドワードは言いました。

「俺はアメリカの男だ。だから大事な義務がある。俺の命は、祖国と自分の愛する家族に捧げるためにあるんだ。日本の男であるお前には使命みたいなのはあるのか?」

と聞くので、

「俺も似ているが、お前と少し違うのは、祖国というより、自分のアイデンティティを大切にしたい。お前がアメリカ人であることに誇りを持っているように、俺は自分の身体に流れている日本人の血と文化には誇りに思っている。ただ、日本国家に執着はない」

と答えました。

「そうか。では教えてくれ。お前が好きな日本の文化について。アメリカには、日本のような長い歴史はない。だから憧れがある。日本の武士道にも尊敬の念を持っている。そのかわり、俺たちは騎士道や、フロンティア・スピリット、カウボーイのコード(規範)はあるがな」

そこから日本とアメリカのお互いの文化の美しさ、生まれてきた意味、果ては芸術やポップカルチャーに至るまで、ありとあらゆることを二人で語り尽くしました。

初対面なのに、お互いこんなに「時代錯誤」の男に出会えたのが嬉しくて…夕方にはお互いを「アメリカのサムライ」「日本のカウボーイ」と認め合い、深い友情が芽生えていました。

「日本の友よ。今アメリカはアフガニスタンやイラクと戦っている。俺は自分の命を掛けて自分の信じる正義のため、アメリカのために戦おうと思う。日本がアメリカと敵対することになったら、お前と戦わなくてはならないかも知れないが、その時は正々堂々といこう。約束だぜ」

「わかった。そのかわり、いつかアメリカが戦火で火の海になったら、家族を連れて日本に来い。俺がお前の住む場所と仕事を見つけてやるよ」

帰る頃には、お互い酒が相当回っていたのか、かなり二人の世界に入っていたらしく、「そろそろ帰るよ」と二人の間に割って入ったナタリーたちも半ば呆れていました。

「バカ。アメリカが簡単に負けるもんか。それに、その頃には俺はとっくに死んでるよ。お前こそ、日本が北朝鮮にミサイルを落とされたら、家族を連れてアメリカに引っ越して来いよ」

彼は別れ際に私をハグしたまま、

“Oh god, I don’t wanna let my borther go.”

を連発していました。ナタリーはシュラッグし(肩をすくめ)ながら、

「レスリーを紹介するつもりだったのに、何かあなたとエリオットのためのパーティーだったみたいね」

レスリーは、「まあいいじゃん。エドワードも嬉しそうだし」とニコニコしていました。

アメリカの田舎の夕日は壮観でした。

帰宅してからも私は、太平洋を隔てた遠い国で、尊敬できる人間に出会えた事がとても嬉しくて、その夜は興奮して眠れませんでした。

「君に会った時みたいだよ」

と冗談っぽく言ったら、

「それ以上じゃないの?」

と笑われました。

「でも、自分と心を通じ合える友達ができてよかったね」

と言ってくれたので、これも嬉しくて、

「今日はありがとうな」

とお礼を言いました。

その後、レスリーとエドワードは退役してアラスカに引っ越しました。

エドワードは地元のファイア・ファイター(消防士)となり、レスリーは最前線には行かなくなったものの、その後もマリーン関連の仕事を続けていました。

当時はまだフェイズブックもあるにはありましたがそこまで広まっておらず、その後の音信はあまりなかったのですが、非番の時は二人でよくハンティングを楽しんでいるという知らせを聞きました。

私たちはというと、大学卒業後しばらくして、お互い別々の道へ進むようになって別れましたが、その後も友達として時々連絡を取り合っていました。

消防士は、アメリカのヒーロー的な職業

レスリーからは、いつでも2人でアラスカに来るように言われていましたが、結局行けずじまいでした。

別れ

大学卒業後2年ほど経ったある時、ナタリーからショッキングな知らせが来ました。

エドワードが死んだと。

アラスカの広原でハンティングの途中、銃が暴発し、弾丸が腹を直撃。病院に運ばれましたが、そのまま帰らぬ人となりました。

その頃、ナタリーも私も別の相手と付き合っていたので、レスリーと私は個人的な連絡はなったのですが、ナタリーからその知らせを聞いた私は、掲示板型のメモリアル・ウェブサイトに弔辞を送りました。

エドワードと自分はただ一度会っただけだったか、まるで10年来の知己の親友のような気がした。アメリカは自分に取って、原爆を落とした敵対する国だったし、アメリカの戦争には完全同意できないところがあるが、ここまで国境や文化や価値観を超えて人を尊敬できた事はなかった。アメリカで偉大なサムライと出会えた事に感謝している。彼と語り合った思い出は、今でも自分の心の中にいる。

そんな内容だったと思います。

誰よりも祖国と家族を愛したエドワード。天国はきっと戦いの無い世界だ。

当時の私は、まだまだ英語が下手でしたが、少ない語彙の中から精一杯の言葉を使って思いの丈を表現したつもりです。

その後、私の熱の籠った弔辞を読んだナタリーの知人や遺族が、「あの弔辞を送った日本人は誰だ?こんなに心のこもったのは見た事がない」と言っていたと聞きました。

その後10年以上が経ちますが、風の便りでは、退役軍人となったレスリーは、2011年の東北大震災で日本にボランティア要員として来ていたとかいないとか。

ナタリーは、父のコネで、憧れのイラストレーターになったらしいです。

二人とも幸せにやっていることを祈ります。

日本で燻って来たことを思えば、英語を学んだおかげで、渡米のチャンスを獲得し、日本に住んでいたら体験できない事が体験できたことには、心から感謝しています。

確かに勉強は大変でしたし、失敗を重ね、恥もかいて来ましたが、そんなのが全て小さく思えるほど、リターンの大きな自己投資でした。

そして、今でもまだエキサイティングな出会いは続いています。

最後に彼に一言。

エドワード。誰がなんと言おうと、お前は最高にカッコいい戦士だった。今度生まれ変わったら、もう銃は必要のない人生を生きてくれ。どんな事があっても、人と人が殺し合うのは、やはり間違っている。


※このお話に登場する人物の名前は全て仮名です。内容は事実に基づいていますが、細かい台詞は、当時の記憶を日本語にしたものです。


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