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日本からプレイヤーを消滅させた昭和・平成のヒーローの重罪

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日本の人口の少なくとも半分は「女」である。

ここではあえて「女」という言葉を使う。それは、私が頻繁に使いたい「男」の対語にあたるからである。今の日本の風潮では、「男」という言葉は失礼に当たらないが、「女」は失礼にあたる。これは、女性の中に、男よりも女の方が弱い立場にあり、何らかのハンディキャップが必要だと考えるところから来ているように思える。つまり、西洋ではレディ・ファーストするのと同じであり、女性がリスペクトされているからではなく、女性は弱いので強い男に守られなければならない、つまりは不完全だと見ているところから来ているのに、日本人はそれに気づかず、表面的なところだけを見ているのである。

それはいいとして、男である私は、おそらく他の不特定多数のあまり持てなかった男たちと同様に、若い頃女というものを神格化しすぎた。

これには、昭和から平成初期にかけて、つまりは私が最も多感で恋大き時代にテレビや漫画で観たヒーローたちに責任がある。ドラゴンボールの悟空にせよ、聖闘士星矢にせよ、ヤンキー漫画のヒーローである『ろくでなしBLUES』の前田太尊にせよ、『SLAM DUNK』の桜木花道にせよ、例外なく童貞で、いや仮に悟空のように子供がいたとしてもロマンスやセックスの描写はほとんどなく、喧嘩は強いが女に弱いというパターンがほとんどだった。

これは、日本では結局、家を守る女性が「かかあ天下」で、旦那さんが奥さんに逆らえない、気の弱いタイプの方が離婚が少なく家庭が円満であり、そのように考えられてきた事とも関係があると思う。

そんなヒーローの影響を受けた私も、女という生き物の特性を正しく理解せぬまま、純愛を信じ、失恋を繰り返してきた。ロールモデルを彼らではなく例えば『007』のジェームズ・ボンドにしていたら、結果は全然違っていた。

一番影響を受けた『ろくブル』のヒロイン千秋のような女性がこの世に存在すると信じ続け、元来ヒロインを演じることを青春のテーマとする女たちのサンドバック状態だった。後になって、その作者は私がティーンだった頃童貞であり、後になって千秋のキャラクターの非現実性に気づいて自分が創り出したヒロイン像でありながら嫌いになったことを40歳を過ぎてから聞いた時、「やられた!」と思ったものだ。ビジネスの世界で梯子外しは慣れていたものの、これは流石に効いた。

女というものはいまだに謎が多いが、この年齢までに学んだことがいくつかある。その多くは自ら若い頃描いた女性のイメージを崩壊させるものであり、失望につながるものだった。だが、失望するのは私の勝手である。女性は昔からそこにいるのを勝手にこちらが幻想しただけなのである。むしろ彼女たちの実態をもっと早く理解してあげれば、お互いにもっといい経験ができたと思う。

最初のルールとして、まず基本的に、男と違って女のいう言葉をそのまま信じではならない。忘れてはならないのは、昔ある本に書いてあったが、女は、自分の旦那の葬式にも化粧をしていくことを絶対に忘れない生き物なのである。彼女たちを邪悪な生き物だと思ってはならない(それは男の価値観での勝手な解釈だ)。ただ、そうしなければ生き残れなかったから、そういう生き物になったのである。

つまりは、どんな男性がこのみか?と聞かれた女性の答えは、男性側の感覚で言えば100%嘘だと思った方がいい。

「優しい人が好き」

「背が高い人が好き」

「毎日LINEにメッセージくれる人が好き」

なんでも言い放題であるが、これらの答えはすべて、「私はこういう男が好きだと言う女と思われたい」という願望が元になっている。

いや、そもそもその質問の答えを聞く人間に興味がないなら、そんな情報を捻り出すことさえしないで本当に適当なことを言うか、答えてもくれないはずだ。

当然のことだが、「優しい人が好き」は、「好きな人にほどほどに優しくされたら嬉しい」と言う意味で、もともと魅力のない男がひたすら優しくしても、それは気持ち悪いだけなのである。

「背が高い人が好き」とかそういう表面の事をいう女性は多いが、実際そう言いながら自分より背の低い男に夢中になった人を何人も知っている。結局は、オスとして総合的に魅力的と判断するかどうかである。

「毎日LINEにメッセージくれる人が好き」、これも当然、魅力がない男からやられたら容赦なくブロックする。女は自分が魅力を感じない異性からアプローチされた場合、男と違って容赦がない。これの本当の意味は、「好きな人からいつもより多めにLINEをくれたら嬉しい」であり、好きでもない男からのLINEはブロックの対象である。そして、面白いことに、いくら魅力を感じた男でも、本当に毎日思い通りLINEをくれる男には徐々に魅力を感じなくなるものである。

次に、すべての恋愛はゲームであり、男女の恋愛においては、すべての男にとって、相手の女は対戦相手だということだ。

女性の中には、「駆け引きなんて面倒くさい」と言う人もいるかも知れない。その場合は、最初のルールを思い出すがいい。常にありのままを曝け出し、意外性もなく、手に入るものも入らないものも全部わかっている男に魅力を感じる女など存在しない。つまり、男はカッコつけなきゃいけないのである。

もう一つ加えるなら、女性にとってすべてが満たされた恋愛など存在しないと言うこと。すべてが満たされた瞬間、思い通りになった瞬間、それは恋ではなくなり、恋する殿方としての魅力は潰える。そして女にとって恋愛感情は尊敬に直結しているので、尊敬されなくなる。それは、「あの人は人間として尊敬する」というのとは違う。ここでいう尊敬とは、憧憬の念であり、想い慕うことであり、神のように尊いものとして扱う事である。つまり、そういう男相手ならば、「忙しい」という事実は無力となる。

だから、2回連続してデートをドタキャンされたら、相手は自分に興味がないのだと思え。そういうこともある。もう脈がないと思って諦めろ。これ以上は傷を深めるだけだ。傷とは、自尊心の損傷。強いメンタルなら比較的早く立ち直れるが、ひどい時な何年もかかる。もう一度いうが人口の半分は女だ。無数にいる女性の中の1人を唯一無二の存在と固定し、その人と上手くいかなかったからって、一番大切な自分の時間を無駄にするのはもったいなすぎる。

女は押されたいのではない、引っ張られたいのである。お金をかける必要はないが、身だしなみとか、清潔感を出すためのオシャレとか、表面的な優しさとか、一応女にモテる男の最低限の嗜みはやっておこう。でも決して深追いするな。ゲームをしろ。欲しがるものすべてを与えるな。

恋愛はそんな汚いものじゃない?その考えは、将来の孤独死への道まっしぐらだ。男が望まずとも、女は生まれながらにして駆け引きのプロだ。人類の文明が始まる前から、そうやって強いオスを魅了して、自分の生活を保証させてきたのだ。ゲームの相手にもならないイージーな男は、その程度の評価しか得られない。「いい人」=「どうでもいい人」とはすなわちそういう事で、結局は、他の女には相手にもされない男に誰よりも深く愛されるより、星の数ほどの女からアプローチされる男のワン・オブ・ゼムになることを本能的に選ぶのである。後者の男は例外なくクソである。それは女自身わかっているし、前者を選んだ方が平和で幸せなのもわかっている。でも、DNAに居座るメスの本能がそうさせないのだ。

私は20代のあるときにこれに気づき、いい人であることをやめ、クソ野郎に成り下がった。そうしたら、常に複数の女性と肉体関係を持つような経験ができた。ただ、ゲームの達人ではなかったので、そこまでいい思いはできなかったが。少なくとも純愛しかできず、女を神格化していた「価値の低い男」よりは、愛という感情など持たず、女を性の対象としか考えないクソ野郎の方が多くセックスできることだけは確認した。

ただ、セックスだけでは幸せにはなれない。結局、一夫多妻制が許されないこの社会では、性欲を満たすこと以外の野心を持つことのみが、男にとって恒常的な銃質感を得る手段だと気づいた。

それが、「男として恥と後悔のない人生を生きること」である。

この内容を男女差別だという人もいるだろう。しかし、社会は動物が人間に代わっただけの自然淘汰と弱肉強食の世界だ。「いや私は違う」「この女性は違う」という人は、もう一度最初のルールを読み返していただきたい。


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