8050問題というのがある。俺と同じ「主食氷河期」の世代が、教育課程を終えても就職せず、ニートや引きこもりとなって、それが50歳近くになっても外でお金を稼ぐことをせず、80歳近い親の年金を食いつぶして共倒れとなる状況のことらしい。
引きこもりは40代の20%にも及び、2015年には65万世帯にも上るという。そしてまだまだ増加傾向にある。
しまいには、自分が親が亡くなったのに、そのことがバレると年金が打ち切られてしまうという理由で隠していて、腐乱死体となって発見されるという死体遺棄事件まで起きている。
日本政府は、この責任をどう取るつもりだろうか?
答えはもちろん、NONEである。「就職氷河期世代活躍支援」なる法律があるが、結局地獄から抜け出すのは自分次第。これまで逃げ続けてきた人生を一変させるには相当な意志の強さが必要だ。
平成と違い、今なら戦いから逃げたり、社会の厳しさに揉まれることを先延ばしすることができる。仕事しなくても誰にも怒られないし、とりあえず親が面倒を見てくれるから、別に苦労をする必要がないように思える。
人間は弱い生き物だから、苦労する必要がないと思えば、わざわざつらい道を選ばない。
しかし、リスクを負ってまで他人に警告を発してくれる人がいなくなっただけで、世の中は全くやさしくなっていない。それどころか、日々厳しさを増している。
先日甲府の温泉に入っていたら、30代前半と思しき3人の男性の話が聞こえてきた。
彼らは友達の結婚式の帰りに温泉に立ち寄ったらしく、新郎を羨ましがる言葉はまったくなく、3人とも彼の将来のことを同情していた。人生観は人それぞれだからそれはいいのだが、ショックを受けたのはその後であった。
彼らは自分の年収がいかに低く、政府に払う税金の額がいかに低いかを競い合い、自慢し合っていた。
つまり、彼らの価値判断は、どれだけ夢を実現したか、どれだけ社会に貢献したか、ではなくいかに社会に搾取されずに済んでいるか、なのである。しまいには、生活保護で生活するための条件まで話に上がっていた。
もちろん、努力しないで生きていくのは自由だ。しかし、責任と義務があっての自由と権利であることを忘れてはならない(そして教育・勤労・納税はすべての日本国民の義務である)。その前提が崩れれば、肝心の権利を請求する先の国というシステムが崩壊する。
当たり前のことだが、税金を払わないほど細々と生きていく、何なら健常者なのに自由のために生活保護をもらう、そんなことでは恋愛のパートナーはともかく生涯のパートナー得られないだろうし、子供や家族を持つという選択肢もない。趣味にお金を使う余裕もないだろうし、車に乗ったり、自分の家を持つこともない。そんなものいらないといえばそれまでだ。たが果たして、自尊心のある男が、国や納税者に頼りきりの質素な人生の末に孤独死となっても、本当に後悔はないのだろうか?
これから少子高齢化が進んでいき、彼ら労働世代がこれからの日本経済を背負っていかなくてはならないのに、これでは確実に大和民族は絶滅する。サステナビリティの名の下、スーパーやコンビニがビニール袋を「くれ」なくなり、駅からごみ箱が消えたが、そんなことよりもこちらの方がよほど大きな問題のはずだ。
前から分かっていることだが、国に期待してはならない。SNSで政治家に文句を言うが、そんなことをして何になるのか。政治家にとって、政策とは「投資」である。会社の投資にはROI(投資利益率)があるが、彼らのROIは、投資票獲得率である。つまり、1票を獲得するのにいくらの予算を「投資」すればいいか、極端に言えばその効率に元づいて政策が決まっている。
票を獲得するために、当選前に宣言した「投資」をバックレるのは常套手段。それでも次回も票を入れる奴がいるから余計に舐められる。
比較的安い投資で満足して沢山票をくれる高齢者は優遇される。
投資のための軍資金を提供してくれる組織や宗教団体も優遇される。
企業は安くて優秀で文句を言わずにまじめに働く外国人を求めるから、彼らも優遇される。
一番箸にも棒にも掛からないのは、投票数も少なく、何をしても満足せず、かといって攻撃されても文句を言うだけで反撃力のない労働階級ということになってしまう。
今の高齢化社会も、日本経済の弱体化も、国際競争力の低下も、外国人の流入も、円安超過も、すべて90年代から分かっていたことだ。政府が頼りにならないことも、この国の将来に期待できないことも、わかっていた。
それなのに、「日本は平和ボケしている」とわかっていながら、何もしてこなかった。
グローバル化の本当の意味を理解せず、何もピンと来ず、「英語なんてできなくても生きていける」と言って努力をしなかった。その真の目的である、世界から学ぶことをしてこなかった。
元世界一の先進国が、ずっとガラパゴスでいいわけがない。
今、一番伸びている産業の一つであるIT業界で、世界市場への挑戦を前提としているベンチャー企業がいくつあるだろうか?日本最先端技術を持つ企業が集まる展示会に行くと、ほとんどの企業がGAFAや世界のメインストリームのソフトウェアの100分の1くらいのスペックのソリューションしか出していない。「日本語で大丈夫」「日本人スタッフだから安心」「価格が安い」という謳い文句で、日本人にしか価値のないサービスを売っているだけ。それなのに今はそんなのでも需要があるから、何か勘違いして上から目線の奴らが多い(お前らはシリコンバレーかバンガロール辺りの一流エンジニアのチームとガチで仕事したことあるのか?)。
→世界の大学(コンピューター・サイエンス学部)のランクキング。日本のレベルはどこ?
日本人が努力しなくなれば、当然日本のレベルが下がる。そうなれば、日本の競争力は落ち、日本市場内で外国人にチャンスが生まれる(彼らはコンビニ店員でも日本語を使う。日本人は彼らをバカにしがちだが、業務レベルの日本語を習得するだけでも相当な努力が必要だ)。流入した外国人との勝負に負ければ、もちろん外国人の地位は向上する。
SNSで増税メガネだの政府の悪口を言っても何も改善しない。この社会で生き延びるには、今のルールの中で自分の人生の支配権を獲得するしかない。日本が国際社会の中にある限り、競争から逃れることはできない。そしてその競争に負けた場合のツケは、例外なくすべての国民が払うことになる。
日本人の給料が上がらないのには、政府だけではなく一般人にも問題がある。はっきり言って、エンプロイアビリティが高く、価値を生み出す人材には、企業は年俸2000万円でも3000万円でも惜しまない。年収が250万円から上がらないということは、厳しいようだが、その人にはその程度の市場価値しかないということ。その人材はまだ、企業に対する交渉力がないということだ。しかし、年収1000万円~2000万円くらいなら、誰でも努力だけでなんとかなる。
だから、社会につぶされる前に、自分が強くなるしかない。自分の身は自分で守るしかない。強く生きることが、結局一番楽で、賢明な道なのだ。
もちろん、人生はつらい。死にたくなることもある。でも、死ぬ覚悟があるなら、落合信彦の言葉じゃないが、もともと大した命じゃないんだから、死ぬまで戦って散ればいい。
…というのが筆者の提案です。
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