今日は、政治家、といってもスケールの小さい政治屋(politician)ではなく、偉大なる政治的リーダー(spokesman)との遺した言葉を紹介します。
JFK = John Fitzgerald Kennedy。ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ
あえて、彼の名前は愛称のJFKと書かせていただきます。
日本でいうところのキムタクとかに当たると思います。この省略形は、国民の敬愛を表しています。
ask = 問う。求める。英語では問うことと求めることが同じ意味(同じ単語)です。その共通点を理解できれば英語の理解が早まります。私は「問う」とは(答えを)「求める」ことと理解しています。
JFKが1961年にアメリカの大35代大統領に選ばれた時の就任演説での伝説的な一言です。
フルの演説はこちらです。聞き取る自信のある方はどうぞ。口跡が綺麗でゆっくりで感情移入が強いので、比較的聞き取りやすいと思います。使っている単語は少し難易度はありますが。
JFKは、この一言で、アメリカが本来美徳とする自由と責任、権利と義務の原理に立ち返る事をアメリカ国民に求めています。自由を求める権利は誰にでもある、でもそれは、アメリカ国民一人一人が愛する祖国の公益のために貢献する義務が履行される事と表裏一体であると。
日本も欧米化が進んでいますが、こうした西洋の文化が流入する際、コマーシャリズムや政治家のポピュラリズムに影響され、自由や権利を主張できるという分かりやすいメリットばかりが目立ちます。そして肝心の義務を果たすことや、公益に貢献する喜びは高尚すぎて大衆には理解されにくいというデメリットがあります。
こちらの演説ビデオを見ていると、JFKのアメリカ文化の美しさへの訴えが伝わります。14:00あたりで”And so, my fellow Americans, ask not what your country can do for you,…”が始まります。
その一言の直後、聴衆から大歓声が起こります。自分たちに義務を課すリーダーに大歓声を上げ、忠誠を誓う国民。本当にケネディの心と一緒にこちらの魂までもが揺さぶられるようなスピーチです。
ここまでのカリスマ性のある政治的リーダーが、果たしてこれからの日本にも現れるのでしょうか?
そのJFKも、2年後の1963年、テキサスのダラスで演説中に暴徒の凶弾に倒れます。多くの国民から愛され、同時に多くの国民から憎まれていた偉大なリーダーは、46年という短い生涯を政治に捧げ、そして暗殺という形で幕を閉じました。
そしてアメリカに、巨大なレガシーを遺しました。
rise up = 立ち上がる。政府を打倒すべく蜂起する。
live out something = 何かを生きる。何かに従って生きる。ある命を生きる。
creed = 原理原則。人生に影響を与える信条。
こちらも、アメリカの偉大な政治的・宗教的リーダーのスピーチです。
こちらのリスニングに自信のある方もない人も、英字幕で確認しながら(と言っても100%正確ではないですが)、マナの声でフルのスピーチを聴くことをお勧めします。
意味がわかれば、涙なしでは聴いていられません。
こちらのYouTube動画であれば、キャプションをOnにして英字幕つきで何度でも見ることができます。
ご存知かと思いますが、彼は英語の教科書にも出てくる黒人の牧師であり、当時はまだ根強く残っていた黒人差別を撤廃しようと演説をしていました。
まだ、ニグロという今では使われていない単語が出ています。今日では、African Americanと言います。人種を指す言葉としては公の場ではBlackでさえもあまり使われません。
マーティン・ルーサー・キング牧師はスピーチの中で、自分の夢を語ります。それは、アメリカがその原理のもとに立ち帰り、すべての国民が肌の色に関係なく等しく自由と権利が与えられる、という、今でこそ当然の世の中です。当時はそれが壮大な夢であった、つまり実現されていなかった事を表しています。
活動の途中で、彼は何度か政治犯として投獄されています。
そして、黒人だけでなく白人にも多くの賛同者がいたのに、世の中を実際に変えるのは、それほど簡単なことではありません。
ビデオをご覧になると分かりますが、聴衆は牧師に大歓声をあげています。彼の夢に賛同する人はこれほど力強くピュアな希望に満ち溢れていたのに、彼もまた、多くの人に愛され、同じように多くの人に憎まれた人の1人でした。
1968年、彼はメンフィスでジェームス・アール・レイという暴漢に撃たれ、39歳の若さで亡くなりますが、彼の言葉は世界に大きな遺産を残しました。人間が平等であるという原則に基づいた市民権運動は、イギリスや南アフリカなど各地で受け継がれました。