私は、人口バイリンガルです。親が外国人だとか、親の転勤で幼い頃海外で育ったとか、親が外国語教育に熱心だったとか、そういう恵まれた環境で育ったわけでもなく、英語は大の苦手科目で、自分の意思で勉強して、日本語と同等か以上に自由に使えるようになりました。
ですので、エリートと違って失敗と挫折だらけで、恥ずかしい経験もしましたし、英語が苦手な人間の苦悩も少しはわかっているつもりです。
当記事では、語学の凡才である私が言語習得に必要だった継続するモチベーションの重要性と、元来集中力の低い自分がどのようにモチベーションを継続したかについて、自らの経験談を例に交えながら論じてみたいと思います。
私のように才能のない人には、参考になるのではないかと思います。
目次
英語学習の「王道」の嘘
英語学習に関しては、昔から数週間でネイティブのように話せる方法があるかのように喧伝する書籍などをよく目にします。
確かに、英語習得の方法論には人によって向きはありますが、それでも英語学習に王道はないというのが私の結論です。それに、数カ月でTOEICが700点や800点取れるようになったところで、実戦のビジネス戦闘力とは別物だと考えなくてはならなりません。
実際TOEICが900点台なのに、実戦ではほとんど役に立たない英語しか使えない人を見てきました。
ここからは、私の体験談となりますが、英語を勉強した事がなかった私がアメリカ留学を決めた時、最初にやろうと決めたのは、まず英語の勉強でした。
当時はまだ2000年代初頭でした。今のようにYouTubeやAmazon PrimeやNetflixなどの便利な教材はなく、ハリウッド映画はTsutayaでビデオテープをレンタルし、家にあるテレビデオ(ブラウン管のテレビとVHSデッキが一体になった電化製品)の画面の下の部分にガムテープを貼って、字幕を隠して何度も穴があくほど観て勉強し、出て来た単語をノートに書き留め、単語帳をめくる毎日でした。
当時の私には、昭和の体育会系文化で培った根性だけが武器でした。
英英辞典を購入して、和英辞典を処分し、もう絶対に英語を日本語で勉強しないと決めました。
そして、毎日200単語覚えると自分にノルマを課し、できなかったら腹を切って死のうと決めて、途中で眠りそうになると太腿に鉛筆を刺して睡魔と戦いながら必死で単語力を鍛えていました。
もちろん、ネイティブとのコミュニケーションは、たまに日本に来ている英語の先生以外ありませんでした。
質より量の学習法で得られる領域が出発点
学習の質で言えば、インプットは99%で、アウトプットはせいぜい1%程度であり、ほとんどが勉強のための勉強で、ある種ストイックになる自分に酔いしれていたところがありました。
それでも、TOEICは、その勉強のための勉強や、アウトプットがほとんどない状態でもそこそこいい点が取れるようになってしまうものです(これが日本式テストの弊害です)。
3か月間引き篭もりを決め込み、留学の最低条件であったTOEFLというテストで550点取れなければ、これまた腹を切ってやろうと本気で考えていました。
そして、同じミスを2回繰り返したら、自分の顔面にビンタをしていました。自分への怒りが激痛に変換されることによって脳が覚醒し、新たな朝鮮への意思が沸き上がってきました。
今思えば、7割は無駄な努力でした。でも当時の自分はそれが正しい方法だと信じでいたので、留学を実現させるまではその方法をやめるつもりはなく、何日かサボった日はありながらも、最後まで継続しました。
一応この質より量の昭和スポ根式トレーニングは功を奏し、3ヶ月後にTOEFLスコアで575点を取る事ができました。これで留学への切符を手に入れたことになります。
別にUCLAやアイビー・リーグに行くわけではないので、英語さえできれば、とりあえずアメリカのコミュニティ・カレッジ(2年制の誰でも入れて大学の単位を提供している地方自治体管轄のカレッジ。卒業するとAAという日本でいう短大に当たる学位がもらえ、その後4年制大学に編入が可能となる)にさえ入ってしまえば、あとはなんとでもなると思っていました。
そして勘違い天狗の鼻はへし折られた
ただ失敗だったのは、この昭和の日本式の根性論学習法で3ヶ月やり遂げた頃は、TOEFLやTOEICのリスニング問題はほぼ聞き取れるようになっていたので、もはや英語はマスターしたと勘違いしていました。
ハリウッド映画のセリフはあまり聞き取れなかったが、「ビデオの音質が悪い」「映画俳優はカッコつけて早口で喋るから悪い」と勝手に都合よく解釈していたので、あまりそこは気に留めませんでした。自分に都合のいい解釈をしていたわけです。
その頃、読み物に関しては、頑張ってつけた語彙力のお陰で、聖書から入って、シェークスピア、ヘミングウェイ、ミルトン、オスカー・ワイルド、エミリー・ブロンテなどの古典小説の原文なんかを読んで理解していたつもりになっていましたので、相当天狗になっていたと思います。
自分のストイックさと語彙力に酔いしれていた私は、アメリカに行っても英語なんて勉強する必要はないし、何なら平均的なアメリカ人より英語力があって教えてやれる、授業でもトップスターだ、などと相当痛い勘違いをしていました。
3か月でここまでマスターできるなんて、俺は語学の努力をする天才ではないかと。
20台半ばの勘違い天狗は、留学実現後間もなく、これがとんでもない勘違いだと思い知ることになります。
カリフォルニア大学バークレー校の3週間語学コース及びコミュニティ・カレッジの入学許可をもらい、ホームステイ先が決まった私は、2002年の夏、サンフランシスコ空港に降り立ちました。
アメリカは、2年前の1999年の暮れに、友達になった英語教師に連れられて、ラスベガスに2000年ニュー・イヤーのカウントダウンをしに来て以来でした。
記憶通り、全てがでかい。人間もでかい。小さい人もいるが、大きい人は2メートル以上ある。
しかし、自分にとっての「約束の地」に降り立った高揚感は、1日、2日と2日と過ぎて行くうちに、すぐに不安に変わり、失望に変わり、やがて怒りと恐怖に変わりました。
まず、初日は空港で洗礼を受けました。飛行機への乗り継ぎ口の場所がわからない。
あれだけ自信を持っていた自分の英語がアメリカ人に通用しない。空港のアナウンスメントが聞き取れないし、まったく理解できない。人に聞こうとしても、誰も自分の下手くそな英語を理解できない。この時点で、自分の英語の訛りが強すぎる事を実感しました。日本にいるアメリカ人やカナダ人の先生は、日本人の訛りを理解しているし、日本文化に興味を持って日本に来ている。だからそう人たちに理解されても、一般のアメリカ人いはまるで理解されません。
そして、彼らの言っている英語も一切聞き取れませんでした。結局、乗り遅れた私の名前をラスト・コールしているアナウンスメントさえ聞き取れる事ができず、乗るべきフライトに乗り損ない、日本語の喋れる人に助けてもらって、別のフライトで目的地にたどり着いたのでした。
もちろん、百ドル以上の追加料金を取られました。
日本にいるネイティブ英語教師をベンチマークにするなかれ
上記の通り、日本にいるネイティブの英語の先生方は、外国語を学ぶ大変さを知っていますし、親日派ですし、日本人の発音の弱点を理解しています。だからこちらの言っていることを理解しようとしてくれます。中学生程度の単語をゆっくりハッキリ発音してくれますし、こちらが聞き取れなくても、辛抱強くもう一度、言い回しを変えて言い直してくれます。
しかし、一般のアメリカ人は、一外国人の事情などどうでも良く、日本にも興味はありません。まともにコミュニケーションを取る能力もない人に合わせてゆっくり教科書通りの単語を使って話すこともしませんし、TOEICのリスニング問題のような話し方もしません。
相手にとって特別なメリットがある場合なら別ですが、通常は彼らが私たちを助けなくても何のデメリットもありません。
これらの「常識」は、今考えたら当然のことですが、生粋の日本人である私には当時は理解できず、大きなショックを受けました。アメリカ人の「不親切さ」と自分の無能さの両方に。
それから、私は、原点に戻って勉強しなおしました。留学の最初にしたことは、英語の下地の再構築でした。
スポイトの滴で浴槽を満たすという行為
この体験から私が学んだことは、英語習得には結局、時間が必要で、クレバーな学習方法や詰込みで簡単にマスターできるものではないという事です。
スポイトを大きくする事はできないですし。できるのは、毎日そのスポイトで水を入れて行くか、今日はそれさえもやらないかを選択するだけです。
もちろん、いつでも休む事はできるし、1日休んだところで僅かな差なので機会損失の実感はあまりありません。ただ、ワープはできないのと、失われた時間は戻らないことだけは忘れてはなりません。
子供の頃、バイリンガル教育を受けた事があるとか、すでにドイツ語をネイティブレベルで話せるバックグラウンドがあるとかなら、最初からかなり水が溜まった状態から始められますが、ほとんどの場合はそんな事はありません。
問題は、途中で水が溜まっているのかを見たり実感する事は難しいので、今自分がどこにいるのか、まるでわかりません。
途中で何度も、全然成長していないような気がして不安になります。
自分には才能がないから一生無理なのではないかと思ってしまいます。
周りと比べても、自分は劣っているように思えてしまいます。
でも継続している限り、必ず何かのサインが現れます。個人差はありますが、英語の夢を見たり、言語の壁を越え、ある会話をした内容は覚えているのに、それが英語でのやりとりだったか、日本語だったかが思い出せない、という事が起こり出します。そして、ある日突然「神の声」が聞こえるようになり、英語が頭からスラスラとアウトプットされるようになります。
自分のように頭の悪い人間でも習得できたのだから、断言できます。努力を続けることさえできたら、英語は誰にでも話せるようになります。
自分だけの継続方法、継続する理由を見つける
ただ、それを実現するための継続性は、一時の情熱だけではおそらく継続した意思は保てません。
日本人は、英語を勉強することの大切さが単に就職のためだったり、実用の必要性があまりピンと来ていまない場合が多く、それによって多大な時間を損しているます。
今はヨーロッパだけでなく、中国や韓国、東南アジアにも、英語が話せる人はゴロゴロいます。彼らが英語を覚えられるのは、英語を勉強しないと仕事がないので、生きていけない、といういわゆるハングリー精神があるからであることは明白です。
私の場合は、アメリカに対してコンプレックスがあったことと、渡米後にアメリカ人の彼女ができた事の2つがとてつもなく大きかったと思います。
一時は結婚まで考えていて、彼女を残して帰国するのが嫌でした。
そして、”I don’t want you to go.”と言ってくれる人たちがいたら、自分はアメリカに本当に良かったと思えたし、踏ん張ることがました。俺は絶対に日本に帰らない、決めたから、何とか継続する事ができたと思います。
モチベーションを継続させる理由は人それぞれですが、よほどのドM人間でない限り、絶対に途中でやめられない理由を見つける事が大切です。そういう意味では、理由を見つけられた私はとてもラッキーだったかもしれません。
継続さえできれば、方法論さえ問題ではありません。いつか必ずそこにたどり着きます。
最後に私が自分の経験から学んだ教訓を一つ。
Love English, and English will love you back.